ニニフニ。

寺社を巡ったり描いたり彫ったり。

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塩船観音寺(しおふねかんのんじ)

仁王門



東京、多摩方面には良い雰囲気のお寺がけっこうある。
青梅の塩船観音寺もその一つ。

河辺駅からバスに乗り、塩船観音入口で下車。
降りるのは大抵自分だけ。

5分かそこら歩くと、茅葺屋根の仁王門が見えてくる。
これは室町時代の建立で国の重要文化財。
両脇に立つ仁王は鎌倉時代の本格派である。


阿形



門前には萩、その先には彼岸花がわさわさと咲く。
そのほか紫陽花や山百合や山茶花なんかも四季折々に咲く。
近年では特にツツジの寺として有名で、4月から5月にかけてのシーズン中は大勢の人がやってくる模様。


阿弥陀堂



参道を行くと正面に阿弥陀堂。
阿弥陀堂も仁王門と同じく国重文である。


阿弥陀堂から薬師堂へ



そのまた先に茅葺の薬師堂。
堂内にはいかにも一木造といった感じの細長い薬師如来が祀られている。
この薬師さんは平安時代からいらっしゃるようで、塩船観音に残る緒仏の中では最古参。


薬師堂



そして薬師堂先の石段を上がると本堂となる。
こちらもまたまた茅葺で、やはり重文。

鄙びた佇まいである。

個人的に、好きな寺社の条件というのは「巨木がある」とか「段差がある」とかだったりするんだけれども、
ここにはそのどちらもある。


本堂



塩船観音寺は創建が大化年間(645年~650年)という相当な古刹。
縁起によれば、関東を遍歴していた「八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)」が、
この地に千手観音像を安置したのが始まりだという。

八百比丘尼というのは誤って人魚の肉を食べたために不老不死になったとされる女性。
長生きのおかげで知人も夫も失い、やがて尼僧となって全国行脚をしたそうだ。

寺のほうはその後荒廃したものの、8世紀に行基が再興したりなんだりして、
それからまたいろいろあって、今に至ると。そんな感じ。

で、本堂内。

内陣中央には本尊千手観音像が安置された厨子があるんだけれども、
この観音さまは年に4回しかお目にかかれない秘仏であるので、普段扉は閉ざされている。

が、しかし、堂内にいらっしゃるのは本尊のみにあらず。
その両脇には眷属である「二十八部衆」がズラリと並んでいるのだ。

二十八部衆というのは千手観音に仕える28の善神たちのことで、
そのメンバーには梵天や帝釈天、四天王や仁王といったメジャーな方々から出所のはっきりしない面々までもが参加していて、
姿を見ても男神だったり女神だったり、老人だったり鳥人だったりと多種多様。

塩船観音寺の二十八部衆は鎌倉時代の造立とされ、これは京都三十三間堂に次ぐ、全国で二番目に古い作例だそうだ。

そのフォルムやディテールには確かに地方っぽさが見てとれるものの、それがまた味わい深い感じ。

特に印象に残った方々について述べると、まずは「風神」。

おそらく造立するにあたって手本にしたであろう三十三間堂の風神像は、上唇が風でめくれあがっているような表現がなされている。
そんな造形を忠実に再現しようと試みてダメだったのかなんなのか、
ここの風神は唇というか鼻ごと、めくれあがっているというよりは前方に延びきっている。
獏っぽい。

ちなみに、風神は相方である「雷神」と共にかつて二十八部衆に対して戦いを挑んだものの敗北し、その後千手観音の眷属として新たに加わったとかで、
正確には二十八部衆ではない。

ま、28対2では大概負けるだろう。果敢な挑戦である。

次に「散脂大将(さんじたいしょう)」。
このお方は鬼子母神の夫で武将の姿をしているんだけど、
最大の特徴は顔が真ん中から二つに裂けて、その下から別の顔が現れているという点。
この表現も三十三間堂と同様である。
どういう訳なのかはよくわからないが、とにかくその異形っぷりはかなりのインパクト。
三十三間堂の像に比べて上の裂けている顔がよりはっきり見えていて、二つの顔があることがわかりやすくなっている感じ。

それと最後に「五部浄(ごぶじょう)」である。
五部浄もやはり刀を握り甲冑を身につけた武将形の神だけれども、三十三間堂の像とはっきり違う点が一つある。

それは象の頭の形をした冠をかぶっているというところ。

実はこの象冠、奈良の興福寺に現存する五部浄像がかぶっているのである。
興福寺の象をかぶる五部浄はあどけなさの残る少年の姿。
一方、三十三間堂の象をかぶらない五部浄は体格のよいコワモテの青年姿をしている。

とすると、三十三間堂の五部浄というのは興福寺の五部浄が成長した姿だったりするのかもしれない。

ではなぜ成長した五部浄は象をかぶっていないのか。

それはやはり恥ずかしくなったのである。
いい年して象かぶってる奴なんて周りに誰もいないということに気付いたのだろう。
そしていてもたってもいられなくなった彼は脱いだのだ。お気に入りだった象を。

とすると、少年とも青年とも取れるような姿で象をかぶる塩船観音寺の五部浄はなんなのか。

これは興福寺と三十三間堂の中間に位置する、大人になる一歩手前の五部浄である。

おそらく気になりはじめているころではないだろうか。

「俺このまま象なんてかぶってていいのかな。」

と。

そんな脱象に心揺れる思春期の五部浄がここにいるのだ。



うんまあ、実際のところ、制作した仏師がなぜ頭部のみ三十三間堂スタンダードを採用せず、
興福寺スタイルにしたのかはよく分からない。

が、とにかく、オリジナルとあれやこれや見比べてみると実に楽しいのである。
それは他の方々も同じ。

これほどバラエティに富んだ造形をまとめて目にすることもそう多くはない。

花と緑と、趣ある堂宇に落ち着ける境内、そして個性豊かな二十八部衆。
何かと楽しみどころの多い素敵なお寺である。


コスモス



つつじまつり






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コメント

彼岸花の季節になって塩船観音のことが気になっていたため、
この記事が掲載されて嬉しい気持ちになりました。

「脱象」っていいね。
脱ぎ捨てられた象に対しては、少し寂しさを感じざるを得ません。
  1. 2009/09/29(火) 20:45:13 |
  2. URL |
  3. noi #-
  4. [ 編集]

脱いだ象はどこかへ大切にしまってあるのかもしれませんね。
  1. 2009/09/29(火) 21:58:40 |
  2. URL |
  3. nihhi #-
  4. [ 編集]

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