ニニフニ。

寺社を巡ったり描いたり彫ったり。

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高野山 その三

一之橋



恵光院を出て、まずは今晩お世話になるまた別の宿坊「大円院」で荷物を預かってもらう。
それから観光案内所でレンタサイクルを借り、身軽になったところで朝一番に向かうのは山内の最も東に位置する「奥の院」。
ここは壇上伽藍と並び高野山において最重要視される聖域で、空海の御廟があるのだ。

四国遍路を終えた巡礼者は無事に結願できたことを弘法大師に感謝し奥の院に参拝することが昔からの習わしになっているが、
そうでなくとも奥の院を目当てにやってくる人は多い。

参道のスタート地点である「一之橋」から奥の院までは2キロほどの距離があり、ここからは自転車禁止。
何にせよ歩く気ではいたけれど。


渡るとこう



橋を渡ると、雰囲気は一変。

老杉が高くそびえる鬱蒼とした森の中に伸びる参道。
そしてその両脇には無数の石塔がずらりずらり。

これは弘法大師の眠る地に墓碑を立てたいという人々の願いや、山を死者の魂が鎮まる他界と見る日本古来の山岳信仰、
奥の院を弥勒菩薩の住まう浄土と見なしたことなどによるもの。
また中世以降、火災などで一時荒廃した高野山の復興資金を集めるために各地を渡り歩いた「高野聖」の存在も関係しているようだ。
彼らは全国津々浦々で弘法大師の奇跡を語り、人々に現世の浄土である高野山への納骨を進め、
その骨を預かる代わりに相応の寄進を求めたとのことである。


参道



拡大する弘法大師信仰に伴って、奥の院参道には皇族や戦国武将から名もなき人々までもがこぞって墓碑を建立してきた。
現在その数は20万基とも30万基とも言われ、もはや正確な把握は不可能なほどだ。
地中に埋もれているものだってまた無数にあるのだろう。
それゆえ高野山は「日本総菩提所」と言われる。

一口に墓と言っても小さなものから大きなもの、古いものから新しいものまでその形態はさまざま。
中には白蟻駆除業者が建立した白アリ供養塔なんていう今出来のものまである。

かと思えば3、4メートルはあろうかという苔むした五輪塔が
どっかんどっかん立ち並んでいたりするのだからこれはまったく凄まじい光景。


特大



こういう鳥居付きの大きなものは大体名だたる戦国武将あたりの墓碑や供養塔で、
名を挙げれば上杉謙信に武田信玄、伊達政宗、石田光成、明智光秀、織田信長に豊臣家などなど錚々たる顔ぶれ。
宗教者では法然や親鸞の供養塔まである。
宗派の違いもおかまいなし、敵も味方も一緒くたである。


参道



ちなみに、中世の大寺社というのは寺領を守る名目で僧兵を抱え込んで武力を蓄えていたりして、
朝廷や戦国大名でもうかつに手を出せないほど強大な力を有していた。
この高野山も例に漏れず、紀州の一大勢力になっていたのである。

織田信長は天下統一を果たすため、こういった寺社勢力を何とかしようとして比叡山の焼き討ちを行ったが、
彼はその後高野山にも目を付け、1581年には「高野攻め」を開始。
しかしその翌年に本能寺の変によって信長は死んでしまったため、高野山は危機を脱したという。

この一連の騒動で信長は高野聖を数百人も処刑したとか。
まあ高野山側も信長からの使者を10人殺害したりしてるけど。

それほどに敵対した信長の供養塔までもがここにある。
建立当時の人々の思いは様々だったかもしれないが、これが誰も彼もを包み込む高野山の懐の深さなのだろう。


白衣観音



どこを向いても墓だらけ、地蔵などの石仏もそこかしこに並んでいる。
まさにこの世とあの世が交わる異界といった趣だ。
にもかかわらず特に怖さはなく、その静寂は神聖な霊気を漂わせているよう。
そんな雰囲気を味わいつつあちこちに目をやりながら歩いていると、2キロという距離もまったく長く感じない。


参道



しかしただ一つ問題だったのは「蚊」。
森の中ということで想定はしていて、虫除けスプレーも持ってきてはいた。
がしかし、うっかり荷物ごと預けてきてしまったのだ。
おかげで落ち着いて写真を撮ることはほぼ不可能となった。
少しでも立ち止まれば耳元で「ぷーん」。
結果的に10ヵ所くらいは刺されただろうか。
夏は虫対策を万全にするべきである。


御供所&護摩堂


休憩所



「中の橋」を渡りさらに進んでいくと納経を受け付ける御供所や護摩堂、休憩所が現れ、
そのすぐ先に最後の「御廟橋」。
ここから先は聖域につき写真撮影は禁止となる。


御廟橋



そしていよいよ奥の院。
堂内に入り昨晩恵光院で書いた写経を納めることにした。
お炊き上げしてもらうか永代奉納してもらうかを選べるのだけれども、せっかくなので永代で。
奉納料は1000円なり。

横にある燈篭堂には信徒から献ぜられた無数の燈篭が灯をともしていた。
燈篭には番号入り。

で裏手に回るとそこに弘法大師の御廟がある。
この御廟の中で、空海は今も生前の姿のままで瞑想を続けているとされているのだ。

史実としては、835年の3月21日、空海は高野山奥の院で没した。齢62歳。
しかし空海は死んだのではなく、遠い未来に弥勒菩薩が下生するそのときまで御廟の中で人々の為に祈り続けている、
という信仰が高野山にはあるのだ。とにかくあるったらあるのだ。
空海の他界を死んだと言わず、「入定(にゅうじょう、座禅をして無我の境地に至ること)」したというのはそのためである。

この入定信仰が出来上がったのは11世紀頃らしい。
921年、醍醐天皇が空海に「弘法大師」の諡号を贈った際、
東寺長者の観賢(かんげん)という僧がその報告をするために高野山へ登った。
奥の院へやってきた観賢が御廟の石室を開くと、
そこには禅定に入ったままの空海が生き生きとした姿で座っていたという。
ただ髪やひげが伸び放題だったため、観賢はこれを剃ってあげて、さらに衣も着替えさせたとのことである。

そして現在。
御廟には毎日欠かすことなく朝夕二回の食事が用意される。

食事はさきほど通りかかった奥の院手前にある御供所で調理され、
まず御供所脇に祀られている「嘗試地蔵(あじみじぞう)」に出来具合をチェックしてもらってから、
「維那(いな、ゆいな)」と呼ばれる選任の僧が空海のもとへ運ぶ。
メニューはご飯と一汁四菜で毎日変わる。
肉や魚は使わないものの、日によってはシチューやパスタ、カレーだったりすることもある。

お供えレベルではない。これは本気の食事だ。

さらには空海が入定した3月21日には御衣替えまで行うらしい。

これが入定信仰なのである。

御廟内の様子を知るものは維那を置いて他にはおらず、
維那がこれを他言することもなければ、維那を問いつめるものも高野山にはいない。

そこに骨があるのか、木像があるのか、空海が坐っているのか、あるいは何もないのか。
実態は謎。

ところで真言密教の目指す境地は「即身成仏」といって、
生きながらにして仏、すなわち大日如来と一体になるというものである。

しかし「生きながらにして、この身このままで仏になる」という部分を後世になって極端に誤解した僧は、
自ら土中に籠もってミイラ化し「即身仏」となった。

この即身成仏と即身仏はとかく混同されがちで、今でも「高野山奥の院御廟には空海のミイラがある」と思っている人は多いようだ。
「入定」という言葉は「深い瞑想に入る」とかそんな感じの意味だが、
実際に「高僧が死ぬこと」とか「即身仏になること」といった具合でも使用されていたりして、事態はややこしくなってしまっている。

実際のところ、空海の遺体は荼毘に付されたというのが有力であるらしい。

大日如来と一体になれば自分が宇宙そのものになるのだから、
そこには自と他という隔たりも何の対立もなく、大きな一つの命があるだけだ。
言うなれば空も海も山も動物も「あなた」さえも、「私」であるということ。
様々な不安や苦しみに限定された自己にとらわれず、
すべてが繋がりあう宇宙を循環させるようにして、今ここにある命をダイナミックに輝かせていく。

即身成仏とはたぶんそんな感じのものなんじゃないかと思う。
少なくとも何か圧倒的な超能力を得るとか、そんなことではない。

そういうことを分かりやすくビジュアルで伝えるために曼荼羅や仏像が用意されるのだろうけど、
本来的にはそれらをひたすらに拝む必要もないのだろう。
仏は宇宙に遍く満ち満ちていて、自分もまた仏であるのだから。

そう考えてみると、死してなお肉体という限定されたものを残し、
それを仏と称して礼拝対象にするなんてことを空海がわざわざするだろうかと。

なので個人的には、御廟の中は空っぽであるのが一番それらしい気はする。

しかしそれでも空海は消えていない。物理的には死んだけど死んでない。
という風にも思うのである。ややこしいようだけど。

「五大に皆響きあり」

宇宙のあらゆる存在は仏の言葉、大日如来のメッセージであってまた仏そのもの。
そしてそれぞれは響きあって共鳴している。何てかっこいい言葉だろう。

およそ千年以上そう変わらない風景の中、御廟を前にしてそんなことが何となく、ほんのちょっぴり実感できたような、できないような。

まあともかく、みんなみんなが即身成仏したら素晴らしいよね、とか考えて手を合わせた。軽いか。

南無大師遍照金剛。


参道


思い×∞






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