ニニフニ。

寺社を巡ったり描いたり彫ったり。

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高野山 その一

高野山駅


南海高野線の終点、極楽橋で降りるとそこからケーブルカーが出ている。
5分も乗れば、標高867メートルの場所にある高野山駅。

ここからバスで山内に向かう。
最初のバス停は「女人堂」。
かつて女性の高野山参りはここまでだった。
高野山へ入るルートは七つあり、その全ての入口に女人堂が置かれていたそうだが、
現在では一箇所しか残っていない。


女人堂



女人堂を過ぎると様々な子院が現れてくる。
バスは「奥之院」まで行くのだが、とりあえず「千手院橋」で降りることにした。

ここは山内のちょうど中心の辺りで、観光案内所や土産店などが並んでいる。
メインストリートのような感じだ。


千手院橋の辺り



ここでちょっと説明。

高野山は、816年に弘法大師空海が真言密教を広めるための根本道場として嵯峨天皇から賜った地で、
真言宗総本山にして日本仏教における聖地である。

117のお寺から成る伽藍は標高900メートルほど、南北約2キロ、東西約6キロの山上盆地上にあり、
回りを1000メートル級の八つの峰々が囲んでいる。
この地形は蓮の花が開いたようであると言われ、仏教の聖地としては非常に適しているとのこと。

最近では2004年に熊野、吉野、大峰と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産にも登録された。

ちなみに高野山というのは山内のお寺も全部ひっくるめたここら辺一帯の総称で、
高野山という名前の山はない。

と、だいたいそんな感じ。

ちょっと話を聞いただけではいかにも深山幽谷で、お寺ばかりがずらずら並んでいるような風景ををイメージするのだが、
実際訪れてみるとけっこう「町」であることに驚く。
何しろ幼稚園、小学校から大学までと、銀行、コンビニ、病院に警察に消防署、
ガソリンスタンドに喫茶店にレストランやスナックなど、一通り揃っているのだ。
ブランコやジャングルジムがある公園の中に多宝塔が建っていたりもする。
つまり高野山はお寺というより一つの宗教都市を形成しているというわけ。

しかし最近では人口の減少が著しく、1960年頃に9300人ほどだったものが現在では4300人ほどになっているそうだ。
なんでも若者は働き口を求めて大阪などに移ってしまうのだとか。
祈りの場であると同時に暮らしの場でもある高野山。いろいろと問題もあるようだ。

で、バスを降りたのは16時前。
それほど見て回る時間もないのだが、とりあえず山内の西寄りにある金堂に行ってみることにする。
金堂は高野山の主要行事のほとんどを行う一山の総本堂だ。


金堂



堂内に上がると塗香が用意されていたので両手に擦り込んでみる。
すると気持ちがホワンとして、一気に落ち着くのだった。清まる感じ。

内陣には秘仏の本尊、薬師如来と両脇に不動明王、降三世明王、普賢延命菩薩、金剛薩タ、虚空蔵菩薩、金剛王菩薩が並ぶ。
珍しい配置だ。左右には両部曼荼羅がかけられている。
金堂は昭和元年に本尊、緒仏共々焼失してしまったので、これらの像は昭和に新しく造立されたもの。なのでみな極彩色。

夕方だからか人も少なく、やさしい香りが漂う堂内には静かな時間が流れていた。


根本大塔



隣にある「根本大塔」にも入ってみる。50メートルほどもある高野山のシンボルだ。
この根本大塔や金堂がある辺りは「壇上伽藍」といって、空海が緒堂を建立するにあたり最初に手掛けた、高野山の中核を成すエリアである。
といっても山奥だったこともあって開創当時は工事がなかなかはかどらず、空海が生きている間に大塔は完成しなかった。
さらにその後は金堂同様落雷による火災で幾度となく焼失と再建を繰り返し、現在の大塔はやはり昭和のもの。

大塔の中には大日如来を中心に阿シュク、宝生、阿弥陀、不空成就の四仏が坐っていた。

これらの仏を取り囲む柱には様々な菩薩が描かれていて、全体で曼荼羅を顕しているようだ。

ここで珍しいことが二つ。一つは大日如来の印と回りの四仏の関係。
真言密教では宇宙を「金剛界」と「胎蔵界」という二つの側面から見る。
で、どちらの宇宙でも中心には大日如来がいるんだけど、金剛界と胎蔵界ではその結ぶ印が異なるのだ。
さらに大日如来を囲む四仏も金剛界と胎蔵界で異なる名前を持っている。

ところがこの大塔内では、大日如来は胎蔵界の印を結んでいて、四仏は金剛界の方々なのである。
つまり金剛界と胎蔵界が一緒になっているというわけで、普通こういうことはない。

これは「金剛界も胎蔵界もその本質は一つなんですよ」という空海の考えを反映したもののようだ。

全ては一つであると。

で、もう一つは大日如来も四仏もみんな菩薩の姿をしているということ。
というかみんな同じ姿。
普通如来っていうのはもう悟っちゃったから何も着飾ることなんかないということで布を一枚纏うだけの姿なんだけど、
大塔内の仏たちはみんな冠やら首飾りやらを身に付けている。

これは悟ってしまえばもうそれでオッケーなのではなくて、
その悟りを世のため人のために生かしてこそ意味があるんだよ、ということのように思える。
高い境地にありながらも彼岸には行かず此岸にとどまって、みんなのために活動するのが菩薩である。

全ては一つであるなら、他を活かすことはまた自分を活かすこと。

満濃池という大きな溜池の改修、庶民のための学校である綜芸種智院の設立など、
数々の社会事業をやってのけた空海の生き方は大塔内の仏たちと重なるようだ。

「祈りなき行動は妄動であり、 行動なき祈りは妄想である」

そんな空海の言葉をちょっと身近に感じた。


大会堂&東塔



ここらで日も傾いてきたので今晩お世話になる宿坊へ。
高野山内には117のお寺があると上で述べたが、そのうち53のお寺が宿坊を兼ねているのだ。


恵光院



着いた先は山内の東寄りにある「恵光院」。
20代くらいの若いお坊さんがたが迎えてくれた。
で、程なくして夕食。18時前だけど。
お寺の夜は早い。

メニューは素麺、てんぷら、お吸い物、煮しめ、ごま豆腐などの精進料理。
どの宿坊でもほぼ必ず出されるごま豆腐はムッチンムッチンで、とても濃厚な味わいだった。
なんだこれ。うまい。

食事を済ませると今度は「阿字観」体験。
阿字観は密教の瞑想法、真言宗の座禅である。

内容としてはサンスクリット語で「阿」と書かれた文字を前にして坐り、
自分をどんどん大きくしていくイメージで宇宙と一体になる、といった具合。
この「阿」は全てを含む宇宙そのもの、大日如来を表している。

手ほどきしてくれたのは20代半ばのお坊さん。

今回は初めてということで、阿字観の前段階である「数息観(すそくかん)」を教えていただいた。
これは呼吸を観じ精神を安定させる瞑想法らしい。
ま、当然いきなり大日如来と一体にはなれません。

まずは正面の阿字に礼拝。
次に足は半伽趺坐、手は法界定印にして、あごを引いて目は半眼、1メートル先の床を見るか見ないかのような感じで深呼吸を三回。

で、ここからは息を吸って吐いて一数える。次にまた吸って吐いて二。吸って吐いて三。
これを十まで数えたら、また一に戻って繰り返し。
息を吐くときは、自分の中の悪いものが全て抜けていくイメージで、
また吸うときは全身が清浄な空気で満たされるイメージを持って行う。

これだけをしばらく続ける。
続けるのだが、気が付けば二十まで数えてしまっている。
あ、一に戻るんだよねそうそうと思い直してもすぐに十三なんてことになる。
あるいは何回だかわからなくなったりもする。半眼というのも難しい。
しばらくそんなことを繰り返したところでお坊さんがどうでしたかと聞いてきた。

終わるときは息を吐きながら両手で頭から全身を撫でるような動作をとる。
これをやることで元の状態に戻るらしく、やらないと場合によってはリラックス状態が続いてしまって
すぐには立てないのだという。

今回は15分間の数息観だった。
お坊さんが言うには、これはなかなか上手くいかないものなんだと。坊さんであっても。
気が付けばあれやこれや雑念が浮かんできてしまうし、11、12と数えてしまう。
でもそれはそれで悪いことでもなく、気が付いたらまた一から数えればオーケー。
とりあえず少しずつでも心を落ち着けて、自分を俯瞰的に捉えていきましょう、みたいな話。

数息観で精神を安定させた上で、次の段階には「阿息観(あそくかん)」というのがあって、
さらに「月輪観(がちりんかん)」へと進んで最終的にやるのが阿字観なんだそうだ。
うーんなんだか面白いぞ。もっと習ってみたい気になる。
数息観ぜんぜんできてなかったけど。

教えてくれたお坊さんは非常に理知的な方で、毎日の生活のこと、タイやチベットを旅したこと、
西洋哲学とか仏がどうのこうのとか、そんな面白い話をたくさんしてくれた。

「お坊さんだってそりゃあ足痺れるんですよ。でもあからさまに分かっちゃうとちょっとアレじゃないですか。
だから動作についてはいろいろ考えますね。
ゆっくり動けば痺れもわりと平気だし、それっぽくも見えるからいいんです。」

なんてことも笑いながら言う。こういう本音は面白い。

聞けば勤行や宿泊客の世話で自由な時間はそれほどなく、
合間を縫って勉強するような毎日だという。

「いろいろと決まりごとがあって縛られているような感じもあるかもしれないですけど、
生活の中のちょっとしたこと、例えば庭掃除をしていて苔のグラデーションの違いに気付いたりとか、そんなことも楽しいですよ。」

お坊さんは生き生きしていた。

その後は部屋に戻り風呂のち、写経。
二時間弱で書きおえてさっさと寝た。

翌朝はお勤めに参加するため、ちょっと早起きになるからだ。


写経






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