ニニフニ。

寺社を巡ったり描いたり彫ったり。

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慈尊院(じそんいん)

九度山駅



金剛寺を出て河内長野から再び南下し、着いたのは高野山の麓にある九度山。
駅から30分ほど山里の風景を歩くと、慈尊院というお寺がある。


山門



ここは弘法大師が高野山の表玄関として建立し、かつては高野山一山の庶務を司る政所、
また宿所として機能していたそうだ。現在は高野山と共に世界遺産として登録されている。

本尊は如来形の弥勒菩薩で秘仏。御開帳は21年に一度であるため滅多にお目にかかれないのだが、
国宝指定を受けていることもあって仏像好きの間では注目度が高い様である。
写真で見た感じではちょっと五木ひろし似。
ちなみに「慈尊」とは弥勒菩薩のこと。


境内



弘法大師の母である玉依御前は息子の開いた高野山を一目見ようとこの地までやって来たのだが、
以前にも述べたように高野山は明治の初めまで女人禁制であった。
そのため玉依御前は慈尊院に滞在し、弥勒菩薩を厚く信仰したという。


弥勒堂



実の母であっても女人禁制という掟を設けた以上は特別扱いするわけにもいかない。
そこで弘法大師は月に九度、母に会うため高野山から慈尊院まで下りてきたとのこと。
これが「九度山」の由来となっている。

88歳でこの世を去った玉依御前は入滅して本尊の弥勒菩薩に化身したと言われ、
それ以来、女人の高野山参りと言ったらここ、ということになり「女人高野」の名がある。
またもや女人高野。
そういうわけで、弥勒堂には安産・子授けを願う女性が奉納したたくさんのおっぱい絵馬が。


絵馬



急な石段を上った先にある神社には、「高野明神」と「丹生明神」が祀られている。
二神は高野山の地主神で、弘法大師をこの地まで導き、伽藍建立にオーケーを出したのだという。
土地の神様とも仲良く付き合う弘法大師。


石段


丹生官省符神社



弥勒堂手前の拝堂に入ってみると、アルバムが置いてあった。そこには慈尊院境内で撮られた犬の写真。参拝者と一緒に写っているものも多い。

この犬はゴンといって昭和60年頃に慈尊院近くに住み着いた野良犬だったのだが、いつしかやってくる参拝者やハイキング客の案内を始めたそうだ。
最初は九度山と慈尊院の間を行き来していたゴンは、しばらくすると慈尊院から高野山まで20キロ程の道のりをガイドするようになったという。
弘法大師の時代にも同じような案内犬がいたという話があるらしく、ゴンはその生まれ変わりと言われ皆に親しまれていたのだ。

平成四年までガイド犬として活躍したゴンはその後隠居の身となって慈尊院で暮らし、平成十四年に老衰で亡くなったとのこと。

これは生まれ変わりでしょう。
いやーどういうわけで毎日毎日、高野山までの道のりを往復していたのだろうか。不思議。
なんでも朝慈尊院を出て、夕方に高野山に着き、夜には再び慈尊院に帰ってくるという生活だったらしい。
犬にしたって相当ハードじゃないかと思うが、それほど使命に燃えていたのだろうか。
使命感を持つ犬。不思議。

現在境内にはゴンの石碑も建てられている。今後も伝説のガイド犬として語り継がれてゆくのだろう。

帰り際、裏門から出ようとすると、犬が寝そべっていた。
特に愛想を振り撒くでもなくグデグデしている。
見るとこの暑い中トレーは空。
喉が渇いているのかと思い水筒の水を注いでやると起き上がって飲み始めた。
ちょっと元気になったのか、近づいてきて撫でられ体制をとる犬。


カイ



このかわいらしい犬はカイという名で、晩年のゴンと共に暮らしたそうだ。
なんか耳に花ついてるけど雄。

さて犬も撫でたことだし、そろそろ高野山へ向かおうかと慈尊院を後にする。

カイよ、達者で。

ちなみにカイはガイドしない犬。


シャアっぽい






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