ニニフニ。

寺社を巡ったり描いたり彫ったり。

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恵林寺(えりんじ)

参道

恵林寺といえば風林火山であり、武田信玄の菩提寺として有名であるらしい。
私は戦国時代とか武田信玄について全然詳しくないんだけれども、
なんだか面白そうなので行ってみることにした。

近くのバス停で降りて恵林寺を目指すも道にちょっと自信がない。
ちょうどそこへ地元のおばちゃんが通りかかったので、どっちへ行ったらいいのか聞いてみた。

するとおばちゃんも恵林寺の方へ行くとのことで、一緒に歩くことになった。

「ちょっと前に柿を収穫したのよー、今はほらそこ、キウイがなってる。」

うんうんキウイだキウイだ。

と、道に栗が落ちているのを見つけたおばちゃんは、足でイガを外して私によこした。

「こんな大きな栗はなかなかないよー、ほら、山梨土産に。」



なんか栗もらった。



しばらく歩くと恵林寺の山門が見えてきたので、親切なおばちゃんにお礼を言って別れた。
ぶどうやら柿やらキウイやら栗やら、実り豊かな山梨であるなあ。
そんなことを思いながら、手には栗を握りしめ恵林寺へ。

三門


「心頭滅却すれば火もまた涼し」

中国の禅書に出典があるこの言葉を誰もが知るほど有名にしたのは、
恵林寺の住職であった快川紹喜(かいせん じょうき)なんだそうな。


信玄亡き後の1582年、武田の残党を匿っていた恵林寺は織田の軍勢に包囲される。
織田軍は残党の引渡しを要求するのだけれども、快川和尚はこれを断固拒否。
怒った信長は快川と僧100人余りを三門楼上に閉じ込め火を放つ。
炎に包まれ身を焦がされる中で、快川は動じることもなく、

「心頭滅却すれば火も自ら涼し」

と唱えて、そのまま焼死したのだ。


壮絶であるなあ。
快川が言ったのは、「火もまた涼し」じゃなくて「火もおのずから涼し」。

この言葉の意味だけれども、「心を無にすれば火だって熱いと感じない」ってことではないようだ。
だって火はどうやったって熱いのである。それは凡人だろうが高僧だろうが同じだろう。

つまりは、熱さに抗うことなく熱さをそのまま受け入れる。
死を前にしても織田軍に屈せず、熱にもうろたえない、
そんな一点の曇りもない心を「涼し」と言っているということらしい。

これが死だろうが何だろうが物事をあるがままに受け入れるっていう「禅」なのか。
凄まじい精神力であるなあ。

こういう解釈で考えると、ちょっとした根性論として使うような言葉ではないと思えてくるのだった。

境内


広い境内には三重塔やら開山堂やらいろいろあって、
食券を買うような自販機で拝観券を手に入れると本堂内にも入れる。


庫裏


順路に沿って進んでいくと、うぐいす廊下というものがあった。
歩くとキュムキュム鳴って面白い。
侵入者対策なのだろう。


うぐいす廊下


その先の明王殿には信玄が自らをモデルにして造らせたという武田不動尊がいるのだが、
これがカッコいい像だった。
脇侍であるコンガラ、セイタカの二童子もしっかりポーズをキメている。
複雑な表情、衣のたわみ具合まで細かく彫られていた。


武田不動尊


さらに進むと庭園があって、何人かが和んでいるので私もそこに混ざってちょっと和んでみたりした。


庭園


ぼんやりしながら、
今はこうも静かだけれども、戦国時代には焼き討ちだのなんだの大変だったんだなあ。
おっそろしい時代だなあ。
快川和尚は火に巻かれる中で「火も自ら涼し」って言ったんだよなあ。
とすると、その言葉を聞いた人も焼け死んでない?
とすると、誰が伝えたのかなあ。
あ、大声で行ったから外にも聞こえたとか?
まあいいか、ほうとう食べたいなあ、
などと考えていた。


自ら涼し

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  1. 2008/10/22(水) 23:22:12|
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